よい朝。
基本的には五時五分に起きる。
が、目覚ましは四時に設定する。
三時台に設定しないのはそれだとさすがに睡眠時間が足りないから。
四時に設定するのは四時台に起きれるとなんだか得をしたような気持になるから。
四時台に起きれた時は「やった」と思う。やはり一日の活動時間が長くなるから。
五時台の起床でも執筆や読書の時間は充分に摂れるのだけれど、
それらをし始めるのがどうしても六時になってからになってしまう。
そうなるとなんだか、妙にもったいないような気になってしまう。
きっと行き過ぎた貧乏性が所以なのだろう。
起きて、ラジオアプリをつける。作り置きしたおかずを冷蔵庫から取り出してあっためて、その間に顔を洗って洗濯機を回して、あたたまったおかずを弁当につめながらパンを焼いて、焼き上がるまで麦茶かたまに牛乳を飲みながら焼き上がるのを待つ。ラジオは動きながら情報を十分に得られるのでとてもよい。パンは二枚焼く。一枚にはジャムかマシュマロを、もう一枚にはトマトソースかポテサラを。大抵立ち食いで、気が向けば座って食べる。食べ終えたら使った食器を洗って、弁当箱をたたんでとじてリュックに水筒と入れる。ちょうどこのあたりで洗濯がおわる。コーヒーのための湯を沸かし始めてから、歯磨きに着手。歯を磨きながら洗濯物を干す。晴れの日だと洗濯はたのしいからうれしい。湿度気温ともによい感じだと、帰って来た時の洗濯物の仕上がりがたのしみに感じることもある。干し終えたらインスタントコーヒーを淹れる準備をする。準備などと言ってもお気に入りのカップに顆粒をひとさじいれるだけ。これでコーヒーが飲める時代に生まれたことに感謝。一万人に感謝。湯が沸くのを確認してから歯磨きをおえる。湯を注ぎ、コーヒーを淹れる。私はコーヒーの香りがすきだ。スマホをポケットに、コーヒーを片手に外に出る。隣宅の塀にそれらを置いてストレッチをする。晴れの日だと清々しい気持ちになる。たとえ月曜日であっても。だから私は日曜日の夕方や月曜日の朝に憂鬱になったことがほとんどない。ただ、仕事はすきではない。ストレッチのあとに簡単な筋トレをする。外で十分ほど過ごして、中に戻る。晴れの日はこのときですら外が恋しくなる。こどものようだと自覚する。このあとはもう出勤の時間まで読書と執筆と音楽とラジオに時間をそそぐだけ。
だいたい、こんな朝をほとんど毎日過ごしてる。めぐまれてるなあとほとほと思う。
そして私は寝起きがとてもよいので、苦にならない。
私はたるみやすい本性をしているので、なるべく律して過ごさないといけない。
そう思って過ごしてけれど、今はもう律しているという感覚もない。
よい朝を過ごすのがとてもここちいい。自分をゆるしてもいいようなきがするのも、いい。
なにより、継続というのは心身ともにいいものだし、
「こうする」と決めたことを積み重ねることで自分への信頼と自身が倍々的に増えていく。
肉体のしまりもよくなっているので、いいことだらけだ。
「早起きは三文の得」とは正しいと日々思う。
加えて、
明日の自分に対するプレッシャーを毎日毎日かけれるので、よい。
昨日の私はちゃんとしたのだから、今日の私もちゃんとしなければ、と思える。
思わなければいけなくなる。自然と強制力が働く。
ただ私も機械ではない。
それに酒が好きだ。
よって、上述したような毎朝を過ごすわけではない。
一ヶ月に一度、主に金曜日か土曜日の夜、近所の居酒屋で深夜帯まで飲酒する。
主にウイスキー。
結果、そんな日の翌日の起床時間は平日のそれよりも二、三時間遅くなる。
そんな朝は朝食も食わずに濃い目のコーヒーと邦楽で腹を満たす。
最近は
「あの子とダンス feat.cheimico」(Mega Shinnosuke)
「うれしい!たのしい!だいすき!」(DREAMA COME TRUE)
「Buddy」(阿部真央)
「あ~よかった(setagaya-mix)」(花*花)
「Kiss Kiss Kiss」(AKASAKI)
などで満ちる。
そして昼までだらだらと過ごす。
こんな朝もやはりいい朝だ。
私はだらだらしたくない、というよりも
私はだらだらとすごしてもいい人間ではないのだと思う。
根があまりにも弱かったので、ちゃんとしようとしなければちゃんとしていられない人間だった。
だけど、いまはもう違うかもしれない。
だらだら過ごすとはどのようなことだったかをもうあまり覚えていない。
べつに、
常に気を張って過ごしているわけじゃない。
いまはもういまのような朝を過ごしたくて過ごしているわけだから。
だけど、
あまりにもちゃんとし過ぎているような気がする。
思い上がりだろうか。そんなわけがない。
朝五時台どころか四時台に起きて有意義な時間を過ごしている二十代はどれだけいるのだろうか。
私は、
私を誇り続けるために、誇り続けられる自分でいるためにいい朝を過ごすのだ。
いい朝とは、私のためにあるのだ。
こんな文章を書けるのも、いい朝のおかげであり、
ひいては習慣化してくれた昨日までの自分のおかげであり、
さらにさかのぼれば親や兄やこれまで関わってきたのすべてのおかげだ。
私はこれからもいい朝を過ごしていきたい。
最後に、
いい朝とはなんだろうかとすこし考えてみた。
……………………答えは出ませんでした。
考えをまとめたら、
いつかそれについて書いてみたいと思います。
そうしたらさらにいい朝を過ごせるような気がするので。

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