たくさん書きます。たくさん動きます。たくさん考えます。


ひとり暮らし


ひとり暮らし

 

大抵のひとと同じであるように、わたしも複数人でいるよりもひとりでいることの方がすきだ。

自由で、気楽で、すべて自分次第だからだ。

だから、ひとり暮らしに慣れ切った今、

あぁ、こんなにも楽しい生活があったのか!と喜楽を叫ばずにいられない。

 

私が思うひとり暮らしの素晴らしさとは、以下のようなことだ。

 

早朝五時に起きてラジオを聞きながら弁当や朝食の準備をしても、

深夜二十四時に思い立って近所の居酒屋に出かけて未明三時頃まで飲み明かしても、

はたまた、気まぐれと思い付きで、

未明に自転車で出かけて六十キロほど離れている太平洋を見に行っても、

逆に同じような距離を経て山を越えて山間部の町の寺社へと観光に出かけても、

部屋のいたるところに自分や他人の作品を飾っても、

掃除機ではなく箒で掃除をしても、

休日に朝からワインを開けても、

A5ランクの黒毛和牛を食べても、

朝食をきゅうりで済ませても、

夏の暑さの中冷房もつけずに畳の上で汗を流しても、

ジャズを聴きながら横になるだけの時間を過ごしても、

部屋をまっくらにして「コンジアム」を観ても、

食事は雑に済ませて読書に没頭する一日を過ごしても、

字面そのものの意味ではない「アダルトな本」をそこらへんに置いていても、

六本入りのパルムを一日のうちに食い尽くしてしまっても、

床に落ちたトマトをぱっと拾ってひょいっと食べてしまっても、

深夜に人を上げてしまっても、

「イリヤの空」を観賞用布教用読書用で三冊買っても、

玄関の彩りとしてワイングラスを利用しても、

いい歳した大人のくせにだらだらと一日を過ごしてしまっても、

土日を図書館での映画鑑賞に費やしても、

 

誰にも何の文句も言われない。

 

ああ、なんとすばらしいことか!

何度でも叫びたい。

ここが他にも誰もいない平原であれば間違いなく叫んでいることだろう。

 

しかし残念。

ここは住宅街だ。思うだけに留めよう。

 

親と仲が悪いわけではない。

むしろ仲はいい。

父には色々深々としたことを話し、助言をもらったりした。

兄とは親には言えないようなことを互いにいろいろと話した。

母とは、先日、私の発案により、ふたりで酒を飲みに出かけた。

一家四散こそしているが、おそらくは割と仲が良いほうだと思う。

他人の話を聞いてみても、兄弟や父子や母子で酒を飲んだりというのはなかなかに聞けない。

 

だけど、実家自体がもうあまり好きではない。汚いのだ。だいぶというか、かなり。

家族は好きだけど家には帰りたくないという不思議で複雑な心境が、正直なところだ。

 

だから、相対的に、きれいな今住む家がかなりすきなのかもしれない。

寂しさはもう最初の頃からなかったから問題にはならなかった。

 

そんなことはいまになってはじまった話でもなかった。

 

ただ、まあ、

改めて考えて思うのは、

自由というのは縛られないということで、

何にも縛られないというのは関心がないということで、

誰からの関心もないということは気付かれないということで、

誰にも気付かれないということは誰にも関係できていないということで、

どこの誰にも関係できていないということは孤独になってしまっているということで、

それほどに孤独になってしまっているというのはとても寂しいことなのではないかと思う。

 

私は居酒屋の常連さんや店員さんと歳の離れた友達のように在れているので、

それほど寂しくも孤独でもないが。

 

話を戻そう。

ひとり暮らしというのは、

愛すべき自由を大いに含むものではあるものの、

一方では、

遠ざけるべき寂しさというものを伴うものなのだ

そして、

責任というものも、伴う。

 

律しなければどこまでもだらけられてしまうから、

その自覚をもって生活しなければいけないような気がする。

あくまでも、

出来の悪い私はそう思う。

 

あとは、

他人のありがたみを身を以って理解するいい機会になるのだと思う。

孤独を見つめて自己を測り、自己を測って他人を知る。

ひとり暮らしとはそんな機会を易々と与えてくれる。

 

最後に、

私にとってひとり暮らしをすることによって得た最大の利点は、

一日を飲酒しながらの執筆に費やしても誰にも何も言われないことだ。

 

ひとり暮らし、バンザイ。

しかしいつかはきっと、とひとを想う。


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